Story5 「贈る心のおくりもの」
婚約指輪を二人で見に行った帰り道、僕は彼女に尋ねた。
「どうして、あの指輪じゃ駄目なの?」
「なんとなく。」
「あんなに沢山種類があったじゃない。」
「でも、返品は出来ないし。」
そんな会話を続けた後、僕たちは、久しぶりに別々の部屋で過ごすことにした。突然の彼女の頑固さに苛立った僕は、家に帰って、独りごちた。「なんだよ、いつもはすぐ、どうしたらいいか僕に聞くせに。」
とりあえず、シャワーを浴びて、冷蔵庫からビールを出し、ソファに座った。「このソファだって、買ってよかったじゃないか。」結婚したら、子供が出来るまでは、暫くこの部屋で過す予定だった。少しずつ二人が住みやすい様に、彼女の希望したものをそろえた部屋。彼女はいつも僕に聞いた「ねえねえ、私はこれがいいけど、あなたはどう思う?」僕は、いつでもちゃんと考えて答えた。その甲斐あって、どうだろう、このソファだって、カーテンだって、とても居心地が良い。そんなことを考えながら、ソファの背もたれにあったパイル地のブランケットを引き寄せて掛けると、いつの間にかそのままソファに横になって寝てしまっていた。「この毛布、気持ちいいな。」とぼんやりと思った。
数日後、電話を掛けてきた彼女が言った。
「私、行きたいところがあるんだけど。」
彼女に連れられて来られたのは、海沿いのジュエリー工房だった。
「ここでは、石もデザインも相談できるらしいの。ここで、気に入ったのが見つからなかったら、最初に見た指輪でいいわ。」
と、彼女。「石?お店にあったダイアモンドじゃ不満足だったのだろうか。意外と欲張りだな。」と、僕は、少し緊張した。
「では、まず、色々な石を見ていただきますね。」
と、工房のデザイナーという女性が、様々な大きさの箱に入っている小さな宝石を僕たちの前に並べた。
「気になるものがおありになれば、仰ってください。」と言われて、彼女は、真剣にそれらを眺めた。まだ、何のジュエリーにもなっていない宝石や、原石を見るのは初めての僕は、まるでそれらが、小さな頃に庭や河原で見つけた赤や緑のガラスの破片や、不思議な形や色をした石ころに見えた。それをポケットに入れて家に持ち帰って、母からもらったお菓子の缶に入れていたのを思い出す。あの缶は、まだ実家にあるのだろうか。それとも、母が捨ててしまっただろうか。どちらにしても、目の前にあるこの石たちは、数日前に見た、カットされ、磨かれた、あの、有名店のショーケースの中のダイアモンドと比べたら、僕の思い出の様に、かすんで見えるのだった。
「うーん。」
と、再び悩む彼女。
「気に入ったのは、ございませんか。では、他の物をお持ちしますね。」
とデザイナーの女性がトレイを持ち上げようとすると、トレイに敷いてあった、柔らかい布がめくれ、その下で何かが光った。
「あ、何かありますよ。」
と僕が言うと、二人が、「え。」と、こちらを向いた。
「その布の下です。何かありますよ。」
女性は、トレイを置いて、布をめくると、白い箱の透明なガラスの中に、いびつな形をした信じられないほど透明な石がのぞいていた。
「あ、これは、ハーキマーですね。すみません。下に隠れていたようで。」
「それ、ちょっと見せてもらえますか?」
と、彼女が言った。女性は、「もちろんです。」と言いながら、布の上に、ピンセットでその石を置いた。それは、二つの多面体が右と左に突き出た、ダイアの様に透き通った石だった。その石を彼女と僕は、じっと見つめた。
「ハーキマーは、ニューヨークでしか採れない非常に貴重な水晶なんです。何億年もの時間を掛けてゆっくりと、自然に育まれたので、ダイアモンドの様に磨いたり、カットされなくてもこのような輝きをしているんですよ。しかも、これは双晶と言って、二つのハーキマーが、根元のところでくっついた珍しいものなんです。」
女性の説明を聞きながら、その、ハート形のような、双子のような石を見た僕たちは、顔を見合わせた。
「気に入った?」
と、彼女。
「うん。」
と、僕。
そうだ、彼女は、いつもこんな風に聞いて来た。ソファやカーテンだけじゃなく、あのパイル地のブランケットも、もしかしたら、バスルームにあるシャンプーや二人で飲むお茶でさえ。いつも二人にとって心地よい物を、僕より先に知っているのは、彼女の方だった。僕は、彼女の選んだものの中から、僕の好きなものを選んだだけだ。その度に感覚を研ぎ澄ませて。いつの間にか、僕の心地良いものに関する感覚は磨かれていった。この水晶がゆっくりと磨かれて来た様に。そして、いつか僕もダイアモンドの様になるのかもしれない。この水晶が自然に育まれて、ダイアモンドにも劣らないくらい輝いている様に。
帰り道、彼女と手をつなぎながら、海辺の道を駅まで歩いた。少しだけ潮風に春の匂いが混ざっていた。
-LoveforceJewelry「贈る心のおくりもの」-